第三編 顕彰譜

ルソン島マバラカット飛行場跡に建てられた 神風特別攻撃隊の碑 ルソン島マバラカット飛行場跡に建てられた 神風特別攻撃隊の碑

神風特別攻撃隊の碑

 

慰霊碑

 

神風特別攻撃隊員から、マスコットとして可愛がられた当時14歳のダニエル・ディソンさんが、 長じて第一航空艦隊猪口力平参謀と第二〇一航空隊中島正飛行長共著の「神風特別攻撃隊」(英訳文)を読んで、往時の優しかった隊員が別人の様に厳しい顔付きをして、凛々しく出撃しえ征ったことを思い出し、同志を慕って一九七四年(昭和四十九年) 東マバラカット飛行場跡に顕彰碑 (左上)を建立した。(第一次碑)
ところが一九九一年のピナツボ火山の大噴火で、 3米余の火山灰の下に完全に埋ってしまった。
マバラカット市は復興を計画、二〇〇一年に鳥居と後壁(比国旗と海軍旗が画かれている)、鳥居の向って右に日英両文の説明板が建てられ、更に二〇〇四年(平成十七年)には、鳥居と後壁の間に特攻勇士之像が建立された(左下)。(第二次碑)
ディソンさんは、更に関大尉以下の敷島隊の最初の出撃日は、十月二十一日で而も西マバラカット飛行場(クラーク特区内に在り、当時の状態の侭残されている)からであった、という史実を後世に伝えるべく、同じく二〇〇四年に西飛行場跡に記念碑を建てた(左中)。

 

マバラカット特攻像

 

慰霊祭は毎年市内リリー・ヒルにおいてマバラカット市主催で敷島隊出撃の十月二十五日〇七二五時に行われている。
因みに敷島隊は二十一日には敵艦隊を発見出来ず、東マバラカット飛行場に帰投、二十三・二十四日と反覆出撃して目的を果さず東マバラカット飛行場に帰投、4度目の二十五日に敵空母撃沈1、大破1、小破2の赫々たる戦果 (米軍資料)を挙げた。