第三編 顕彰譜

沖縄航空作戦戦没者の碑 空華之塔 沖縄航空作戦戦没者の碑 空華之塔

空華之塔1

 

空華之塔2

向かって右は飛行機第 19 戦隊の特攻碑。左は南方航空輪送部の慰霊碑

 

由来記
昭和20年を迎え、大東亜戦争の戦局は敗退と欠亡の危機にあり、戦争指導方針は本土決戦態勢の確立と全軍特攻化対決におかれた。
沖縄作戦が開始されるや、陸海軍航空部隊は練習部隊をも特攻作戦に組込み、九州、台湾、南西諸島の各基地から昼夜を分たず特攻を主力にして米機動部隊、

沖縄周辺艦船、沖縄敵飛行場に猛攻をくり返した。

飛行機は新鋭第一線機から練習部隊の旧式実用機、中間練習機、機上練習機(白菊)まで動員され、搭乗員は学鷲から十代の若い予科練や少飛出身者までが突入していった。

その機数は千機を越え、その戦士は二千を越えた。昭和39年沖縄翼友会(会長渡名喜守定氏)はこれら烈士の英霊鎮魂と砕散した航空機材を祀り、航空界の発展と世界平和を祈念してこの碑を沖縄本島上に建立し、毎年9月20日(空の日)前後に慰霊祭を行ってきている。

 

所在地 糸満市摩文仁
建立 昭和39年11月1日
問合せ先 沖縄県西原町字翁長四二七
沖縄友会
(098-945-6854)