第三編 顕彰譜

陸軍特別操縦見習士官之碑 陸軍特別操縦見習士官之碑

陸軍特別操縦見習士官の頌
昭和十八年七月三日勅令六五五号により、「陸軍航空関係予備役将校服務臨時特例」が発令されて、続いて勅令七五五号「在学徴集延期臨時特令」が発令され学生の徴兵猶予の全面停止となり「学徒出陣」となった。大東亜戦争で航空機操縦者の補充に苦しんだ陸軍は素質的に充実した大学生を操縦者として第一線に投入するため特別操縦見習士官制度を創設し、救国の期待をかけた。大東亜戦争が転機を迎えた昭和18年10月1日一期生二千五百余の若人は学業をなげうち陸軍特別操縦見習士官として祖国の危機に立ち上った。二期三期四期と続き、ペンを操縦にかえた学鷲は、戦局急迫し祖国まさに危急存亡を迎えた時、特別攻撃隊の主力となって決然として、比島、沖縄、本土の護りに殉じ、特別攻撃隊として、敵艦船、航空機に体当り攻撃突入した総数は一、二、三期生三一六名で、三期生は五名任官以前見習士官のまま悠久の大義に殉じた。

 

建立の由来
陸軍特別操縦見習士官出身者は戦没した英霊の遺勲を歴史的に永く後世に伝えるため、陸軍特別操縦見習士官之碑を計画し京都清水寺に近い京都護国神社境内に決定。 碑は特別操縦見習士官出身者の浄財と一期生神野義衛(彫刻家日展審査員) 吉原正(設計事務所主宰)によりブロンズ像として、出身者のみの手により建立が完遂され、建立後神社に奉納した。爾後の維持管理は神社側で行っている。 「陸軍特別操縦見習士官之碑」という題字は佐藤栄作元総理の揮毫である。

 

合祀者 陸軍特別操縦見習士官出身者
所在地 京都市東山区清閑寺霊山町一 護国神社内
建立 昭和46年3月21日