第三編 顕彰譜

義烈空挺隊顕彰碑 義烈空挺隊顕彰碑

 

建立の由来 
全日本空挺同志会では、義烈空挺隊の遺勲を後世に語り伝えるため、沖縄に建碑を計画した。 初めこの部隊が突入した読谷飛行場跡に建てようとしたが、進入路がなく人目につき難いので、島の南端摩文仁の台上に建てることにして、現在慰霊公園になっている地域の一番高い処に土地を取得し、昭和51年にこの碑を建立した。
主碑の石は熊本の金峯山から掘出したもので、義烈空挺隊が出撃した健軍飛行場の西に聳えるのが全峯山である。「義烈」の文字は、奥山隊長の書き遺した筆跡を拡大して刻んだ。
約一三〇坪許りの敷地があり、入口左側に副碑があって、その表には「義烈空挺隊讃」なる一文を鋼板に刻して嵌め込み、裏面には第三独立飛行隊も含めた全戦死者の名前を、同様に銅板に刻んだ。
義烈空挺隊が突入したのは5月24日であるが、毎年この日の前後の日曜日に全日本空挺同志会沖縄支部の主催で慰霊祭を行っている。
この敷地及び碑の所有者は全日本空挺同志会であるが、日常の管理は(財)沖縄県戦没者慰霊顕彰会に委託してある。なお全日本空挺同志会とは旧軍の空挺部隊と自衛隊空挺部隊に関係ある者の団体である。

義烈空挺部隊讃
秋ソレ昭和二十年五月二十四日夜敗色既ニ濃キ沖縄戦場読谷飛行場ニ突如強行着陸セシ数機の爆撃機アリ 該機ヨリ躍り出タル決死ノ将兵ハ飛行場ニ在リシ多数の敵機及ビ燃料弾薬ヲ爆砕シ混乱ノ巷ト化セシメタリ 為ニ飛行場ノ機能喪失スルコト三日間ニ及ビソノ我ガ航空特攻機ハ敵艦ニ対シ至大ノ戦果ヲ収ムルヲ得タリ コレ我ガ挺進第一聯隊ヨリ選出セラレタル義烈空挺隊及ビ第三独立飛行隊ノ壮挙ニシテ両隊将兵百十三名全員ココ二悠久ノ大義二殉ゼリ
後ニ続ク者ヲ信ジ日本民族守護ノ礎石トナリシ将兵ノ霊ニ我等何ヲモツテ応エントスルヤ
昭和五十一年五月二十四日
全日本空挺同志会

読谷飛行場跡にも木製の柱を建て毎年お参りしている。

読谷飛行場跡にも木製の柱を建て毎年お参りしている。

 

所在地 沖縄県糸満市
摩文仁慰霊公園内

建立 昭和51年5月24日
慰霊祭 6月初旬の土曜日
問合せ先 千葉県船橋市薬円台
陸上自衛隊第一空挺団広報班内
全日本空挺同志会事務連絡所
(047-466-2141)