第三編 顕彰譜

金武鎮魂碑 金武鎮魂碑

 

建立の由来
太平洋戦争の末期、昭和20年1月沖縄県国頭郡金武村 (当時)の海岸に祖国防衛の陣をしいた第二十二震洋特別攻撃隊・豊廣部隊は敵の侵攻を受けるや熾烈なる重爆撃下、三回の出撃を敢行した。のち陸戦に転じたが、その間に海に陸に散っていった多くの戦没戦友たちの御霊をまつり、併せて自隊だけでなく、沖縄中・北部の各地で尊き生命を国のため捧げられた陸海の将兵、ならびに戦火の犠牲となられた多くの民間人の方々の御霊を慰めるためにこの碑を建立した。
。また、敵侵攻の直前、昭和20年3月14日金武湾上に於いて、艇隊訓練中、B-24一機の急襲を受けた戦友の無念を慰め、後世の人々に二度と再びこのような悲しいことを繰返して貰わないよう、心より平和を祈念して建立した。
建立者は第二十二震洋隊の生存者ならびに遺族により構成されている「金武会」。建立場所はかつて部隊本部が置かれていた金武公会堂の隣地。金武区のご厚意により土地を借用し建立したものである。この碑には特定の個人名の銘記は一切してなく、正面碑文は、当時の鎌倉円覚寺・朝比奈宗源管長にお願いし「金武鎮魂碑」とのみ刻書した。 また、裏面碑文は「一九七一年八月 平和を祈願し 金武会(第二十二震洋特別攻撃隊豊廣部隊) これを建立す」とのみ刻書してある。
この碑はあまり大きなものではないが、建立の趣旨にご賛同いただい金武町の多くの有志の方々により立派に護持されている。

 

所在地 沖縄県国頭郡金武町
金武公会堂隣接地
交通  那覇よりバスまたはタクシーで約1~2時間
建立 昭和46年7月26日
写真提供 金武町