第三編 顕彰譜

震洋隊遭難之碑 震洋隊遭難之碑

 

震洋隊遭難之碑の由来
昭和20年1月25日 海軍水上特別攻撃隊第四十四震洋隊に大島防備隊附が発令された。同年3月8日搭乗員50名を含めて総員172名からなる部隊は、大島久慈湾に進出した。
同年6月9日〇七二〇大島海峡西口方面哨戒中、久慈口に於て震洋1隻が爆発、10隻が誘爆類焼し、隊長中尉三木十郎外下士官兵12名戦死、下士官3名が負傷した。
後任隊長には第十七震洋隊第四艇隊長が任命され終戦にいたった。
昭和30年11月 厚生省は遭難者慰霊の為に震洋隊遭難之碑を建立した。然し碑の存在は一般の人々に知られることもなく、地元久慈青年部有志が代々受継いで碑の守護にあたり、今日に至った。

所在地 鹿児島県大島郡瀬戸内町久慈
建立 昭和30年11月
建立 厚生省
慰霊祭 6月7日
守護団体 瀬戸内町久慈青年部
問合せ先 鹿児島県大島郡瀬戸内町
瀬戸内町役場
(09977-2-1111)

写真提供 瀬戸内町