碑文(側碑)
大東亜戦争苛烈トナリ、存亡ニ瀕セル日本ノ国体護持ト再興隆ヲ悲願トシ、自ラハ若干生命ヲ捧ゲシガ、回天特別攻撃隊ナリ
昭和十九年八月一日、黒木、仁科少佐ナド青年ノ創案嘆願ガ許可サレ、大
楠公ヲ仰ギ菊水ノ旗印ノモトニ参集セル若人千余名、 其ノ内体当り突入百二十七柱、訓練殉職十七柱、搭載潜水艦八隻が犠牲トナレリ
茲ニ回天殉道忠士ノ純情ヲ偲ビ英名ヲ刻シ、芳ヲ千秋ニ伝へントス
昭和五十五年五月吉日
回天会
下呂信貴山頂 回天碑側碑
東海回天会設立
由来
回天創始者黒木少佐の殉職から20年を経た昭和38年9月、黒木少佐生誕の地である岐阜県下呂町の飛騨信貴山境内に「楠公社合祀回天殉道忠士」が鎮座、同年11月3日、回天碑が竣工した。
55年5月には側碑も完成、62年3月回天模型図碑も建立された。
毎年9月5日前後の日曜日に慰霊祭が挙行されている。
所在地 岐阜県下呂市 信貴山頂 楠公社
交通 高山線下呂駅下車徒歩25分
建立 昭和39年11月3日
守護団体 回天楠公社奉賛会
写真提供 回天楠公社奉賛会